黒いでかいなにか

ざわつく海

「到着したら意外と吹いてない!」

とかないかな〜。。

なんて思いながら到着。

予報通り吹くサイドオンの風を恨めしく思いつつ、パドルアウト。

ちょうどキャプテンがロングボードを両手で頭の上にしっかりと

持ち上げ歩いてくる。

慣れたポイントは歩きやすいリーフのルートがわかってくるもので。

ロングボードを担いだ姿勢でも、足場の悪いリーフを歩く姿に

危うさはない。

遠くて顔が見えないが、いつもの笑顔で手を振ってくれているのがわかる。

この時間に上がるってことは多分、仕事。

それぞれの時間にそれぞれのスタイル。

生活の中に海がある

私も波乗りを始めた頃は潮が合う週は毎朝、夜明け前に海に通い、

奇異な生活スタイルがとても

かっこいいものだと勘違いして自分に酔っておりました。

かわりに毎晩、ビールを飲んで酔うこともなくなりました。

海に行くことでいい感じで自分に酔っていた頃。

慣れてくるとその生活が普通になり、

海が生活の一部になると、海に行くことが日常の普通の生活を繰り返す。

時間と予定は全て地球と月の管理下に。

潮の満ち引きでその月の予定が全て決まる。

それが当たり前でかっこいいとかいう次元のものでないことに気がつくと、

急に勘違いした自分が恥ずかしくなって。

海があってそこにいくことが当たり前で、それは特に特別なこと

ではなく普通のこと。

潮のリズムで生活し、風を感じて波に乗る。

これが普通になった時はひと皮むけたというか。

波乗りが楽しく難しく。世界中の人がハマる理由がわかった気がしました。

できたつもりができてなくて。

わかったつもりがわかってなくて。

だから続けたくなり、面白くなる。

でも、、、

数年もすれば少しづつ環境も変わっていき、

仕事に追われ、体調の管理もままならなくなると

いつの間にか海から遠ざかる。何事も続けるって大変。

あんなに好きだった波乗りも一度、海から遠ざると

簡単に生活の時間が変わってしまう。習慣が変わる。

それを元に戻すことが難しくなる。

朝型の好きな習慣を手放したことに気がついた時、

同時に感じる罪悪感。

大事なものをなくした自分に対する失望か、

波乗りに行かないとなかなか会えない仲間に対する後ろめたさなのか。

海に行くようになった今も

その時の気持ちを思い出してなんだったのか考えることがある。

でも、、、

そんなこともパドルを漕いでいると忘れていくから面白い。

マラソンしていると無になる感覚と同じなのか。

いつの間にか水をかくことだけに集中して他のことを考えなくなる。

結局、まぁいいかと楽観的に考える。

急いでピークへ

すでにMrノニー改めMrサットン。

自分の中でロンジョンといえばこの人というくらい

ロングジョンが似合う。

スタイルと合っているのかスタイルがそうさせているのかは不明。

ゆったりとミッドレングス〜の板を乗っているイメージ。

波待ちしながら話していると

「アフロさん来て良かった。Mrキャプテンが上がったから俺も上がろうと思ってたんですよ」

「え?どうして??」

「今日、さっきから黒いでかいのがいるんですよ。」

「笑顔でそんな怖いことを言わないで。。」

心の中でそう思いつつ、

Mrさっとんの優しい笑顔に癒される。

そして、うねりを見ながらやけに周りを警戒してしまう。

2、それでも淡々と

割れずらいサイドでぐちゃっとした波。

待ってるといいうねりはくるもので。

2人でしばし乗り倒して

Mrさっとんもパドルバック。

ノー被写体の広い海。

1人でいると先ほどの話を思い出す。

でかい黒い何か。

人は見えないものに不安を抱くという話を聞いたことがあるが

まさにそれ。

なんだかすぐに上がりたくなってソワソワ。

そんな時にセットが来なくなるあるある。。

結局、待ちきれず膝波に乗ってパドルバック。

黒い大きな何かは見なかったけど、

安全、安心が第一な朝。

当たり前のありがたさを感じた朝でした。

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